潮流4:輸血経済(自由市場の終焉)
生存圧力が衰弱すると、私益追求の欠乏も力強さを失って徐々に衰弱してゆく。そして'70年、三種の神器が行き渡り、ほぼ豊かさが実現されると、物的充足が飽和限界に達したことによって需要が頭打ちとなり、市場は拡大を停止するしか無くなった。
需要の頭打ち(→市場縮小)に危機感を感じた財界、政界および学者、官僚、マスコミの者たち(以下、特権階級と呼ぶ)は、不足する需要を補うために、今日までに900兆もの資金を市場に流し込んできた。そして残されたのが、もはや返済不可能な国の借金である。
'70年以降の大本営が発表するGDPから、毎年市場に注入された国の借金(国債・地方債etcの借入金)によって作られた人工需要を引くと明らかなように、毎年のGDPはマイナス成長となる。つまり、自由市場は、豊かさが実現された'70年以降、縮小過程に入ったのである。現在の市場は、国家による資金注入という輸血装置によって生き延びている人工市場なのであって、決して自然な需要と供給に委ねられた自由市場なのではない。従って、当然、大きな歪みが発生してくる。
需要が飽和している所に、巨額なマネーを流し込んでも、市場は余分なマネーでジャブジャブになるだけである。略
もし、特権階級が「市場縮小という現実」を直視し、輸血経済を実践しなかったらどうなっていたでしょうか?
真っ先に豊かさを実現した日本は、経済危機に陥ることももなく、国際競争力を失うことはなかったのではないでしょうか?以下引用
潮流5:失われた40年 より
アダムス·ファミリーは、どのように多くの社長を生成した
この国債発行→バブル経済、そしてその後のバブル崩壊から経済危機に至る流れの全ては、市場拡大を絶対命題とする特権階級の利権維持およびその特権の維持と固く結びついた彼らのイデオロギーが生み出したものである。
おそらく彼らは、市場拡大は自分たちの特権を維持するためではなく、国際戦争に打ち勝つために不可欠だったのだと主張するだろう。
しかし、それは本当か?~略~問題は、国債投入なしには市場を維持できないという事実、つまり自由市場など絵空事であって、現実には、国家市場(国家によって支えられた市場)しか存在しないのだという事実から目を背らし、「自由競争・自由市場」という幻想を捨てようとしなかった点にある。要するに彼らは、事実に反する(彼らには都合のいい)イデオロギーに固執し続けてきたのである。
この世には医療だけではなく、農業や介護や新資源・エネルギー開発、あるいは「なんでや露店」のような社会活動etc、市場には乗り難い(ペイしない)が、社会的に絶対必要な仕事(or活動)というような類的供給と捉えられる仕事がいくらでもある。
市場に資金を注入するなら、すでに飽和状態に達した物的生産ではなく、あるいは福祉と称して単なる消費者にバラ撒くのではなく、市場ではペイしないこれらの類的生産を刺激or支援する方向に資金を注入することもできた筈である。例えば、農業や介護etc各供給者の売上に応じて、その50~150%の支援金を支給するという形にすれば、競争活力を失うこともない。
ティンカーAFBはどこですか?
このように、物的需要(の喚起)から類的供給(の喚起)へと舵を切っておれば、日本経済はバブルにも経済危機にも陥らず、次代をリードする国家市場を実現し、世界にそのモデルを提示し得た筈である。
しかし、特権階級は「市場拡大を絶対」とするイデオロギーに固執し、900兆もの資金を市場に注入し続けてきた。これは、彼らが己の特権とそれを支えるイデオロギーにしがみ付いてきた結果であると云うしかない。
ここでの疑問は、そうはいっても彼ら特権階級(特に官僚)は馬鹿ではないはずです。
需要の頭打ち(→市場縮小)に危機感を抱いたはずなのに、何故このようなイデオロギーに固執しつづけてきたのでしょうか?
大衆の意識が特権階級の世界と大衆共認の世界を繋いでいたもの(3)近代~'70年までの豊かさ期待
にあるように(以下引用)
このように'70年以前の貧困な時代には、国家(民族)を挙げて豊かさ⇒私権獲得に邁進していたが、'70年頃全社会的に豊かさが実現されると、まず国家全体の豊かさという国家私権(目標)が衰弱し、次いで、'90年バブル崩壊を契機に'95年企業私権が衰弱する。利益追求の主体たる企業が、これ以上の利益追求を断念したということである。略
こうして豊かさが実現されて以降は「物的な豊かさ」はもはや活力源たり得なくなった。それは、社会の深層から沸き起こる「豊かさ期待」が消えてなくなったことを意味する。
ここでいわれている【豊かさ期待】の消滅に当時の官僚が気が付かなかったのは、2つの理由があると思います。
まずひとつは、試験制度の申し子である彼らは、容易に答えが発見できる課題には対応できるが、答えがすぐにわからない未明課題には全くといっていいほど対応できないのではないか。
多文化の感受性を発達さする方法
次に当時の官僚は、己の身分を守るためにはなんであれ正当化観念を利用する。
その結果(市場拡大を絶対)というイデオロギーにしがみ付くしかなかった。
たとえそれが金貸したちの策略であっても・・・・・・・・・・・・
そうなるとまず、彼らからゼロ成長という戦略は絶対に出てこないのは明らかだと思います。
その一方で当時の大衆意識はどうだったのでしょうか?
たしか実感的にはイケイケドンドンでもっと豊かになれるはずとみんな思っていたように思います。
当時は学歴信仰は現在よりはるかに強いし、親から自分ができなかったことを子供に期待していました。
当時は親の期待もあるけど、本当は楽して金を稼ぎたいというのが実感でした。まずはモーレツよりビューティフル。とにかくあくせく働くのは格好悪い。なによりそれでは女の子にもてない。そこそこの会社の入ればとりあえず生活は十分できるから、あとは女の子ぐらいかという感じで・・・。目先的には女をゲットする可能性は開けていましたから・・・一旦そちら側に走ってしまったように思います。これも今考えると実は、深層では私権衰弱過程に入ってしまっていた証といえると思います。
したがって仕事意識は、その前の時代ほどは強くなかったと思います。
現に当時の労働組合運動は、週休二日制もゲットしていました。もうあまり要求するものがありませんでした。
私はある労働組合の青年婦人部の部長でしたが、メーデーでも有給の休みぐらいのイメージでした。
他社の組合とも交流がありましたが、ほとんどレクリエーションクラブ化していた記憶があります。
確実に仕事より遊び(解脱)に収束していたといえると思います。
それまで仕事の「闘争評価」と遊びの「女をモノにすること」は一繋がりだった。
ところがそれがただの「女を追い掛け回すこと」になってしまったのだと思います。( これが後年セックスレス化現象につながっていきます)
結局大衆も、表層(顕在)意識と(私権衰弱してしまっている)潜在意識のずれに気が付いていない。
この時代、官僚も大衆も歴史の大転換点【物的生産から類的生産への転換】までは見えていない。
その理由は、それが、「歴史認識」でしか捉えられないものだからです。
このときに彼ら特権階級が、将来の展望を見出せてなかったことが、その後の【特権階級の空中浮遊】現象の土壌となっていったのではないでしょうか。
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